タウニング

タウニングの施術を初めて受けた。
左腰に痛みが走ることがままあるので、腰の調整を重点的にしてもらったが、不思議な心地だ。

まず、まっすぐ座っているつもりが右側に深く傾いでねじれているとのこと。
10年ほど前に整体で診てもらったときは、左側の骨と内臓が全て下がっていると言われたのだが、10年という月日は体を逆に歪めるのに充分な時間だったらしい。

タウニングは、バキバキと間接を鳴らされることも筋肉を揉みこまれることもなく、ほんの少しの押しと体のねじりのみで調整するものだった。ツボに刺激があたえられているのだろうか。たったそれだけのことで、騙されているとしか思えないくらいに驚くほど体が楽になった。

先生からは足を組まないこと、体がきつくない程度に正座をすることと、和式便所で用を足すときの要領でのスクワット、骨盤を立てて寝かせての反復運動を勧められた。思い出したときにやってみようと思う。

三日坊主は神に祈る

ブログ開設後、三日すら持たないとは、己の不甲斐なさにもはや何の感情も起こらない。

それはそうと、あれから少しずつ足の踏み場のない部屋を片付け始めた。物と空間の領土戦は一進一退を繰り広げているが、何とか人間の住処と主張できるまでに回復していると思う。

昨日などは氏神様の元に足を運び、御札をいただいてきた。
さすがに神社というところは清らかで美しく、時間の流れがゆったりとしていて、ささくれ立った心を癒してくれるような雰囲気があった。
とはいえ、まったりと過ごす時間なぞなく、境内で買ったコーヒーを片手に自転車にまたがり、こぼし散らしながら帰った。
私には自宅で宅配便を待つという使命があった。届いたのは神具である。

小包の確認もそこそこに、早速、物を退かした空間に炬燵机と踏み台を据えて、神棚作りに没頭した。壁が堅すぎて金具が刺さらず、何度も心が折れたがなんとか完成させることができた。
神棚の尺が合わず、米を供える皿が1/3ほどはみ出すが私が作ったにしては上出来だ。

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深夜。せっかく神様をお迎えしたのに、汚い部屋では悪かろうと片付けを開始した。
そこでふと気がついたのが3日前に失くした指輪のこと。いつも右手に填めている指輪が金曜日の朝から見当たらないのだ。私は手を洗うとき、指輪を外す癖がある。大抵、同じ場所に置いているのだが、心当たりの場所にはなかった。
運の悪いことにその週は飲み会漬けで、木曜日に填めていたことさえ、偶然上司が撮っていた写真から分かったほどだ。

思い入れのある指輪。このまま見つからないと泣く。
深夜の掃除は指輪の捜索に切り替わった。

しかし、探せども探せども見つからない。
金曜日はゴミの回収日。机の上を乱暴にまとめてゴミに捨てた記憶があった。ちなみに、以前、ゴミと一緒に家の鍵を捨てたであろう前科がある。(見つかっていないので真実は藪の中だ)

こうなりゃ神頼みだと、出来立てほやほやの神棚にお願いをした。拝み終わってふと視線を逸らすと―――あった。
なぜこんなところにという場所だった。掃除機をかけていたら迷わず吸い込んでいたであろう床の上の死角だ。
そのときの気持ちは、見つかってよかったいう喜びと、神頼み後2秒とかからず(誇張ではない)効果があらわれた驚き、そして畏怖である。
様々な興奮が冷めやらぬまま、感謝し、同じ部屋で寝た。我が家は1Kなのだ。
筋金入りの三日坊主の自覚がある私が、参拝だけはかかさないよう心に誓った夜だった。

ちなみに今日は、二の腕とわき腹と背中が筋肉痛だ。恐らく、神棚設置で壁と格闘した跡だろう。

とっちらかる

整理整頓ができない。時々、友人を自宅に招く際に大掃除を始めるが、片付いた状態をキープできない。片付けてはどこに何があるか分からなくなり、散らかしながら(散らかしなおしながら)捜索を始めたり、あるはずの物を再び買ったりしている。
雑然としたときの方が物の場所が分かるということは、私が片付いていると思っている状態は、本当に片付いた状態なのだろうか。

また、私の鞄の中はいつもぐちゃぐちゃだ。財布を出そうと引っ掻き回し、ICカードが無いと騒ぎ、鍵はどこだと引っくり返す。
部屋も鞄も、いつかちゃんとしなくてはと幾度となく思い、その度にストレスを溜めている。

この間、これまたごちゃごちゃと物が詰まった冷蔵庫を整理したら食べるものがなくなった。
正確にはピクルスとヨーグルト、味噌などの調味料しか残らなかった。
和食が好きなつもりであったが、醗酵食好きと改めなくてはならない中身だ。
買い物に行こう。

太郎の朔日

二月一日記す。
うれしいことがあった。
勢い余ってブログを始めた。
とはいえ、三日坊主の申し子といっても過言ではないため恐らく続かない。まあ、気負うほどのことでもないので気楽にやっていくつもりだ。

 

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二月一日の異名はタロウノツイタチというそうだ。
太郎の朔日。なかなかかわいらしい響きだ。
小正月が明けて最初の朔日だからとのことだが、東日本では元日から数えて二度目の朔日ということで、次郎の朔日と呼ぶのだとか。
太郎でも次郎でもどちらでも良いが、続く三月一日の異名はないようだ。
四月一日をワタヌキと呼ぶことを考えると、三月に控えていたであろう三郎がかわいそうである。